夜桜と猫
No.10 witch
ガァンッ
と辺りに一発の銃声が響く。
シンと静まり返ったホールにその音はやけに大きく響いて、そこに居た大勢の客達のほとんどは次に起こり得る惨劇を見たくないとばかりに思わず目を瞑った。
で、あるから。
たぶんそのまばたきの一瞬の内で何が起こったか見ることができたのは自分の他には、犯人グループの頭格の男と、ブツの標的だった少年、それと自分の横に立ち面白そうに事の顛末を眺めている男と、ここ数年、自分と四六時中行動を共にしてきた本人しかいないだろう、とウィリアムは口角を上げた。
発砲音とほぼ同時に男の心臓をくり抜こうと動いた少年よりもさらに速く、は動いていた。
その素早い身のこなしに思わず口笛を吹く。
の使用しているボディそのものはウィリアムが作成した01 のものだが、その能力は使っている本人は気付いていないだろうが、 01 のものとはまるで比べものにならない。
常人の目にならばおそらく残像にすら残らないだろうスピード。
なのにも関わらず、流れるような一寸の乱れも無駄も感じさせない動きには思わず目を惹かれる。
犯人と少年の間に、銃弾が飛び込んでくるのも気にもせず、滑り込んだ体はその細い腕で犯人に向かっていこうとする少年の腰をかっさらい、目にも留まらぬ速さで鮮やかに宙に舞い上がった。
真紅のドレスに身を包み、
長く絹のように滑らかな黒髪を
風に揺らす彼女は、
さながら。
夜桜と猫
No.10 witch
バクバクバクバク。
と、私の心臓は今やホント早鐘のようである。
動物のバクではない。
どこかの陰陽師とかが叫ぶ術でもない。
私の心臓の音である。
それはもうリンゴンリンゴンちょっとは自重しろ喧しいわ!というくらいに早い間隔で脈を打つ。
ドクンドクンと血液を大量に送り出して、本当によく活動してくれるわけで。
ちょっとうるさいくらいなわけで。
ポカンとする眼下にいる皆さま方にへらりと笑いかけながらとりあえずは上手くいったと内心で一人ごちた。
いや、ホント上手くいって良かったー!
急だったのと、この何とも動きづらいドレスのせいで横座りなのに居心地が悪くて、ちょ、おま、どこの乙女ですか!的な感じだが、及第点と言ってもいいだろう。
うん、頑張った!
膝の上に乗せるようにして抱きかかえた坊ちゃんが目をまん丸くして私の顔と眼下とを見比べているが、とりあえずは無視。
今声をかけたら雰囲気的に質問攻めにされることは目に見えていることだし。
(どういうことだと言及するような視線がビッシバッシ突き刺さって痛い程です。)
何も言わずとも、暴れて落ちるなんて馬鹿みたいなことはこの頭の良い坊ちゃんがするとも考え難いので大丈夫だろう。
それよりも今は、なんか恐ろしいものでも見るような怯えた目でこちらを睨みつけ、今にもこちらに向けて鉛弾飛ばしてきそうな空気の読めない犯人さん(A)を先にどうにかしなければならない。
どちらにしろ、面倒くさいことになるであろう状況に泣きたくなった。
何故私がこんな目に。
「お兄さん、あんまり後先考えずに動くと痛い目見るよ?というか長生きしたかったら自分の力量考えた方が良いと思うんだ。」
ずばり、彼の今日の教訓はコレだろうと思う。
いいか、兄弟。
世の草食動物は肉食動物から逃げるために目は顔の側面についてるし、逃げ足だけはすこぶる速い。
私たちはそれを見習わなければならないわけだ。
この今は私の腕の中で大人しくなってる坊ちゃんは見たまんま銀色の狼さんなわけで。
私たちは言うまでもなく、彼のディナーになり得る草食動物なわけで。
下克上精神は天晴れだとは思う。
思う、がね。
場所と相手を考えましょうよ。
相手は未来の暗殺一家のパパさんだよ!!
一般ピープルな私たちがかなうわけないでしょ!
思わず遠い目をして色んな意味を言葉に込めてしまった。
要は勝てない喧嘩は売らない方が身のためだってこと。
コレ、チキンハートのショセイジュツ。
◆
箒。
って、アレだろ、ゴミ掃いたり、集めたり。
まぁ、掃除するためのもの、だろ?
え、アレ、違ったっけ?
彼は混乱していた。
そもそも、彼の家はメイドや執事が何人もいるような大豪邸だし、学校へも行かず通信教育だったので掃除、という言葉にも実はあまり馴染みがない。
もしかしたら自分が知らないだけで、現代の世の箒といいものはオールマイティー、なんでもできるアイテムなのかもしれない、と彼には不似合いなファンタジーな考えが頭の中を駆け巡るくらいには、今の状況がよく、いや全く解っていなかった。
自分のはるか下には先程まで確かに足を着けていたはずの床があり、どうなってんだとポカンと大口をを開けている人々が見える。
自分もどうなってんだと叫びたかったが、今の状態で暴れることがどんなに馬鹿げた行為であるかが解らない程馬鹿でもない。
ぐるぐると許容範囲外の情報に頭を痛めながら、必死に答えを導き出した。
いや、答えを導き出すのは至って簡単だ。
現実に目を向ければいいだけなのだから。
ただ、その現実というのが、信じられない。
つまり、は。
「・・・飛んでいる?」
ボソッと呟いた言葉は誰に聞かれるわけでもなく、声量の小ささ故に空気に溶けた。
掃除用具であるはずの箒に乗って、彼女はふわふわと飛んでいるのだ。
自分はその彼女の膝の上。
訳が解らない。
彼にとって誰かの膝の上に乗るだなんてことは親を含めたとしても初めてだし、何より誰にとってでも箒で空を飛ぶなんてことは初めてに違いない。
それを彼女はさもこれが当たり前なのだとでも言うように悠然と乗りこなし、にこりとホールに居る全員に優美に微笑みかけた。
その微笑みに、誰もが吸い込まれるような錯覚を持つ。
闇夜に浮かぶ月の光のようだった銀色の髪は今やどこまでも深い闇夜の漆黒に変わり、何か背筋がゾクゾクする程までの艶やかさを醸し出す。
誰もが目を奪われ、彼女から視線をそらせない。
「お兄さん、あんまり後先考えずに動くと痛い目見るよ?というか長生きしたかったら自分の力量考えた方が良いと思うんだ。」
発された言葉には自分にかなうとでも思っているのか、とでも言いたげな自尊心の高い絶対的な響きがあり、普通に言われたのならばなんて自意識過剰な奴だろ
うと反感を買っただろうが、彼女の圧倒されるような雰囲気の前では逆らう気にすらならない。
優しく、軽く言われたことが逆に、次はないとでも言うような恐怖を植え付けて。
いつか親父が言っていた。
力のある者ほど、何も力を持たぬ弱者のフリをするのが上手いのだ、と。
彼女は正に、ソレだ。
2009/8/6
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