月に叢雲 花に風
act.12
ギシッギシッ
と床が軋む音が辺りに響く。
おいおい。こんな昼日中から精出してんのはどこのどちらさんだぁ?
よそでやってくれ、よそで。
耳障りなその音に眉をしかめながらもは確かな足取りで歩いていった。
「・・・・・・おや?」
そんなに不思議そうな目を向ける者が、ここに一人。
月に叢雲 花に風
act.12
「ふむ。で?あの子が噂の“死にかけていた吏部官吏達の救生主になった”っていう子かい?」
にこりと麗しい笑みをその顔に浮かべながら言う同期であった彼に、李絳攸は「そうだ」と低い声で答えた。
全く。何故こいつがここにいるんだ。
仮にも彩雲国左羽林軍将軍であるはずの彼は本当にその職に就いているのか、と説い正したくなる程に自由にこんな太陽がサンサンと輝く時分から外朝を歩き回っていた。
何がしたいんだか全くの不明だが、今日も今日とて絳攸の所にやって来たかと思えば開口一番「あの書巻と格闘している子は誰だい?」ときた。
(確かには積み上げられた大量の書巻に押し潰されそうになって必死になっていた。)
本来ならばお前なんぞに教えてやる義理はない!と言いたい所なのだが、こいつのことだ。
言わなければ言わなければで無駄に広い情報収集の手段やら無駄に有り余っている金やらを使って事細かに調べあげさせるに違いない。
それはさすがに不味い。ので手伝ってもらっているんだという事を伝えた。もちろん、という偽名で。
名前云々はともかくとして、嘘は言ってないし、というか本当に手伝ってもらっているの
だから間違いではない。
・・・この“死にかけていた吏部官吏達の救生主になった”という噂も実はあながち間違いではなくて。
というかまさに事実その通りな表現で。
なんと言っても仕事をしなかったあの黎深が仕事をしているのだ。
数日前のあの出来事以来、そんなに邵可に良い所を伝えて欲しいのか黎深はの姿が目にはいる時だけ仕事をするようになった。
だけ、とは言っても黎深の仕事処理能力は常人の比ではない。
ほんの少しの時間でも次々に仕事は片付いていくのだ。
そんな光景を見て、最初は疲労のあまり頭がおかしくなったのかと己の頭をおもいっきり殴る者や夢ではないのかと頬を力の限りつねってみる者、はたまた幻覚が見えるんです、李侍朗・・・!と絳攸にすがり着き泣き出す者などが続出したが今では有り難くそれを受け入れることにしたらしい。
確かに考え方によっては素晴らしき光景だ。
あの楊修でさえ、驚いた顔をしていた。
今ではのことを崇めたたえているものすらいたりする。
まぁいつもは余裕で4、5日ぶっ続け徹夜などを強いられている吏部官吏達としてはそれも致し方ないことなのであろう。
その気持ちは悲しいことに絳攸にもよくわかってしまった。
「・・・・・・・。」
絳攸は目を細めて面白いモノを見るかのような視線をに向ける藍楸瑛を横目で睨んだ。
大体のところ、この男が他人に興味をもつこと自体がおかしい。
一体今度は何を企んでいるんだか。
「・・・どうでもいいが貴様は自分の仕事はいいのか。」
「おや、まるで私にここにいて欲しくないような言いようだねぇ。」
にこりと笑う楸瑛に「その通りだ!」と叫びたい衝動に駆られた絳攸だがここが吏部だということで理性を働かせてなんとか思い止まった。
そんな絳攸の内心の葛藤を見てとったのであろう、楸瑛は尚笑いを濃くしてクスクスと笑う。
「・・・・・・・何がおかしい。」
「いや?君も中々大変だと思ってね。その様子じゃまだ聞かされていないのだろう?」
「は?何をだ。」
「それは私の口からは言えないねぇ。」
からかうように(というか絶対からかっている)口の端を上げる楸瑛に眉間に皺を寄せながらも絳攸は溜め息を吐いた。
ダメだ。こいつに関わっていると禄に仕事が進まない。
「―――――――!」
助け船を求めるが如く絳攸はを呼んだ。
そんな絳攸の呼び声に「はい!」と元気よく返事をしてからは絳攸と楸瑛の所までやって来る。
こちらの世界に来てから後ろに上げるようになった漆黒の髪の毛が少しボロついてしまっているところを見ると先ほどの書巻との格闘は惨敗に終わったらしい。
向こうの部屋の隅に無造作に積み上げられている書巻の山が妙に淋しく見えた。
「何でしょうか?降攸さん。あれ、そこにいるのは―――藍将軍ですね。」
「おや、私のことを知っているのかい?」
「えぇ、まぁ。結構有名ですよ?いつ仕事をしているのかわからないが腕はたつ奴だって。」
にこりと楸瑛に向けて絶体冷度の笑みを浮かべるに思わず絳攸は一歩後ずさった。
それは確かにそうだがそれを本人の前で言うか・・・?
そんな絳攸の言葉をもしが聞いたならば笑顔でこう言うだろう。
曰く
私、仕事を真面目にやらない人ってイマイチ好きになれないんですよね。
と。
それはもう極上の笑顔で。
“働かざる者食うべからず”
“真面目に働け、真面目に生きろ。”
家の基本心得だ。
ちなみにもし万が一にでも破ってしまった場合には柔道・剣道共に段持ちという恐ろしく強い要兄からの手痛い愛の鞭が飛んでくる。
あれは半端無く痛い。
よってその心得を守るのに必死であったのは言うまでもない。
そんな家訓の中で育ってきたにとっては楸瑛の行動は良しと見れるものではなかった。
ぶっちゃけこういう人は嫌いだ。
「おやおや、会って間もないのに随分と嫌われたものだね、私は。」
「いえ?私は嫌ってなどおりませんよ。ただ噂を言ったまでで。藍将軍も先程まで好き勝手に私の噂話をしていたでしょう?」
聞こえてんだよ、ゴルァ。
・・・・聞こえてましたよ、藍将軍。
とにこりと笑うは背後にドス黒いものを所持していたとかいないとか。
「とにかく、私に何か用があったのでしょうか?絳攸さん。」
「・・・あ、あぁ。これを府軍まで頼めるか。」
「おや、絳攸。自分で行ったらどうなんだい?」
「・・・貴様は黙っていろ。」
「はいはい、2人とも落ち着いてください。絳攸さん、これですね?ついでにそちらの書簡届けて来ましょうか?」
は慣れた様子で絳攸と楸瑛の間に入って話を逸らす。
一番上の兄と次男の要兄の喧嘩はそれはもう凄まじい。
向こうに帰ったらまず兄に名前借りたって事後報告だけでもしなければ後が怖そうだ。
てなことではその悲しいのか何だかよくわからない家庭環境により、こういうイザコザ収集能力にかけては滅法強かった。
というか得意分野だと言っても良い。
にっこり笑ってすっぱりと話を切ったに少々面食らいながらも絳攸は「頼む」と頷く。
そんな光景を藍 楸瑛はまた面白そうに眺めていた。
2007/03/2
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