月に叢雲 花に風

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  act.9  












「うーわ、すんげー。」

思わず目を擦って再確認してしまったよ。あはは。
















月に叢雲 花に風
 act.9















李絳攸を連れて吏部までやって来たはその凄まじい惨状にただ呆然とするしかなかった。

すげぇ。
その一言しか出てこない。
というかこの一言が一番的確にかつ端的にこの状況を現せているだろう。
散乱する書類、飛び交う罵声、そこらで潰れている人に、遠い彼方を見つめて何かブツブツと呟いている人。(こっえー。何か黒魔術っぽいよ。

この人たち大丈夫か。ていうか人?
という疑問すら抱いてみたりして。
ぽっかーんと口を開けた。


「え、と、あの、絳攸さん?」


これ本当に大丈夫なんですか?

と聞く前に隣を見れば絳攸の姿はそこにはなく。
あれ?と思うのもつかの間響くは


「こらそこ!やる気がないなら出て行け。あとこの書巻いらないならさっさと府庫に返して来い。それとこの書簡誰が書いた?」


絳攸のハキハキとしたよく通る声。
しかも命令口調だ。

またもやぽっかーんとは口を開けた。
先ほどまでの彼とは別人のような彼を見ると確かにこの人がかの有名な悪鬼巣窟と呼ばれ る吏部の侍朗職についているというのも頷ける。
はっきり言ってしまうとさっきまでの李 絳攸は「この人本当に朝廷随一の才人なんデスカ?」と真顔で正面きって質問したいくらいのヘタレっぷりだった。(なんせこの年で迷 子ちゃんだし。)


さすが、だね。


クス、と楽しげな笑みを浮かべた後、はまた一歩前へと踏み出し、吏部へと足を踏み 入れた。そしてふと足元に落ちていた紙を見て、目を見開く。


・・・これって、判まだ押されてないみたいだけど、明らかに重要書類だよな・・・?


ひょい、とその目についた紙を手にとり、しげしげと眺めてみる。
やっぱりそうだ。
戸部尚書の書名が入っている辺り戸部からの書巻に間違いない。
というのに、判も押されていないということはまだ誰も目を通していないということだろ う。
これはヤバイんじゃないのか。
しかもこの書巻、「至急」というどでかい文字が右上に書いてあるのだが。

これはどうにかしなければ、と思い、は一番近くの机で目に涙らしき光るものを浮か べながら書巻と睨めっこしている官吏の机にその書類をそっと置いた。
きっとその内気付くだろう。
と、思ったのは一瞬のことで、その官吏はものすごい速さでに顔を向けた。

思わず「ヒッ!」と叫び声を上げた私を誰も責めはしないだろう。
なんてったって、目が!目が!血走ってってめちゃ怖いんだよ・・・!
ホラー映画かって くらいに!
一体何日寝てないんだ、この人!?


「え、えーと。その書巻、床に落ちてたんですがたぶん重要書類、でしょ?」


ひくひくと口元の筋肉が引きつるのを感じながらもは声を発した。
ジーッと見つめないで欲しいんですが。
と思わず目を逸らしそうになるのを理性で堪えて、失礼にならないように顔中の筋肉を総 動員してにこりと笑ってやった。
すんごい、口元ひくひくいってんのはご愛嬌だ。
普段、作り笑いなんて全くしない私にしては頑張ってる方だから、ホント!


「・・・・・・・。」

「・・・・・・・。」


早く何か言ってくれぇぇぇえええ!!
もしくは早く目を逸らしてくれ!
という私の希望も虚しく、尚もこちらを凝視してくるその官吏に右ストレートをかました くなってきた。

顔の筋肉が悲鳴をあげてるんだぁぁぁあっ!
普段使ってない筋肉って使うとこんなにも疲れるんだね、ママン!
と、キャラが変わってきたの前でその官吏は今までは目の端に涙を浮かべていただけ であったはずだというのに今度はぶわっと大粒の涙を流し始めた。それにが驚かないはずはなく。


「は!?え、ちょ、なんで泣いてんの!?」

あ゛り゛か゛と゛う゛ー!


あわあわと慌てるを他所にその官吏はまだまだ大粒の涙を大量にその瞳から零れさせ、何故だか知らないがに向かってお礼を言ってきた。
うわお、すげぇな。全部濁点ついてんよ。
と内心で思いながら、意味がわからないという風には首を傾げた。

私、何かしたっけなー?

別に何もしてないと思うんだけど。
あ、もしかしてあの戸部からの書巻を探してたとかそういうオチ?

なんて考えている間にもその官吏は泣くに泣く。
それはもう最後の引退試合に負けた体育会系部員よろしく大声で。
挙句の果てにはにしがみ付いておいおいと泣き出した。

うお、鼻水付くからやめろ!

とも言えずどうするか困っていると、ぐいっと誰かに引っ張られたのかその官吏はか ら引き剥がされた。

何だ?と顔を上げて見ればそこには呆れた顔をした迷子が。

・・・おい、それはもしかしてあたしに向けての呆れか?
なんだかすんごいムカつくんだが。


「・・・何をやっている。」

「何って見れば解かるでしょう。奇怪なことにあなたの部下に泣き付かれているんです。 あ、ちなみに私が泣かしたのではないのであしからず。」


人を泣かせる趣味はあなたの上司じゃないのでありません。

と平然と答えてやればまたもや呆れたように溜息を吐かれた。
だからそれは私に向けての呆れかどうかはっきりして欲しいな、迷子?(にっこり)


「それはともかく、絳攸さん。何なんですか?この惨状。」


いくらなんでも酷過ぎですよ。少しは整理したらどうなんですか?

というの言葉に絳攸は言葉を濁した。
まぁ、この酷さは自分でもよく解かっているのだが、整理するには時間も人手もないのが 今の現状で。
そこを指摘されると何も言い返せないのも現状だ。


「いずれは―――なんとかしよう。」


と言う言葉を発しながら眉間に皺を寄せた絳攸を見て、今度はが呆れたように溜息を 吐いた。(ささやかな仕返しだ。)



「とか言って、どうせ、整理する暇ないんでしょう?」


ズバッと確信を付くの言葉に思わず絳攸は目線を明後日の方向へと向けた。
それはその通りだがそうはっきり言われると胸が痛い。


「人手も足りないようですから僭越ながら私がお手伝いします。」

「・・・・・は?」

「は?じゃありません。この凄まじい現状を見れば私でもわかります。“猫の手でも借り たい”状態でしょう?」


呆れたように言いながらはしゃがんで床に落ちてある書簡を拾い始めた。

これはもう目を通してるな、あ、でもこれはまだ・・・それにこれは見てはいるけど、届 けてないし・・・。
全く、こんなことでは仕事が終わるわけがない。

テキパキと動き、慣れた手つきで書巻を整理していくの姿を見て、絳攸は仕方なく


「頼む。」


呟いた。
何しろ、の言う通り、本当に人手が足りないのだから手伝ってくれるというのならば、その言葉に有り難く甘えておくことにしよう。


「あ、ちなみに私の名はと呼んでくださいね。」


にっこりと笑う。
兄貴の名前だけど、ここ外朝で女人禁制のはずだから仕方ないでしょ。


こうして、は臨時で吏部を手伝うことになったのであった。














2007/03/13
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